ちょこっと感動日記

毎日のちょっとした熱~い感動を綴るマイブーム日記。音楽、本、マラソン、映画、サッカーのこと あれこれ!

ジャズのスタンダード<枯葉>聴き比べ!



 昼間は まだまだですが 朝晩は だいぶ過ごしやすくなってきました。少し 季節的には 早いかもしれませんが ジャズのスタンダードである<枯葉>を 短い秋といっしょに 味わいたいと思います。<マイ・ファニー・バレンタイン>に続く 聴き比べ第2弾。直球勝負で いきたいと思います。


<枯葉(Autumn Leaves)>は もともとフランスのシャンソンの曲で イグ・モンタンが 歌いましたが ジョニー・マーサーが 英語の歌詞をつけて アメリカで 色々な人に歌われるようになったということです。


”窓辺に漂う落ち葉、目に浮かぶ君の唇、
握りしめた君の手、夏の口づけ、日焼けした手、
枯葉枚落ちる季節になると、
君のことが 偲ばれる。”


という歌詞で バラードが 良く似合う曲です。






①Something Eles / Cannonball Adderley より


Cannonball Adderley - Autumn Leaves

残念ながら 歌詞は ありませんが <枯葉>の中で 多分一番有名なバージョンだと思います。
ブルーノート・レーベルから レコードを出せなかったジャズの帝王マイルス・デイビスが いきなり 自分のリーダーアルバムのように 土足で入ってきます。なので マイルスしか目立ちません!何百回 聴いても 飽きない これぞ名曲!みたいな一曲です。





②Bill Evans / Portrait In Jazz   より
Bill Evans Trio - Autumn Leaves


 私の知っている範囲では ピアノでは この曲を 超えるものはないと思っています。いきなり 豪快なピアノで入るビル・エヴァンスのバージョンでは ピアノ・トリオの演奏としても 最高に カッコいい演奏を聴かせてくれます。うれしいことに 私の娘も このバージョンが気に入り ピアノの発表会で 演奏してくれたことを 思い出させてくれるバージョンです。



③Eric Clapton  Clapton     より
Eric Clapton -Autumn Leaves


 ギターの神様と今でも思っている エリック・クラプトンが 古~い曲ばかりを集めて録音した 2010年の<Clapton>より。ちょっといっぱい引っかけて ほろ酔い気分で 歌っているような雰囲気で ちょろちょろっと ギターが入って いい感じです。ところが 最後のところで クラプトンらしいギターが キュイ~ンと 入ってきて 驚かされた一曲。いや~ 最高の瞬間ですな~!




というわけで 3曲 ど真ん中の直球勝負でしたが 他には サラ・ヴォーンの 思いっきり早くて スキャットしているものや カントリーの大御所 ウィリー・ネルソンの味わい深い しみじみとしたものなど あります。ジャズのセッションでも アドリブが とりやすいということで よく演奏されるので まだまだいっぱいあると思います。これ いいよ~!とかいうのが あれば ぜひ教えていただけると うれしいです!よろしくです~!!
楽しい時間を!

映画<遠い夜明け>を観て!



 イギリスのロック歌手 ピーター・ガブリエルが 南アフリカの
黒人指導者スティーヴ・ビコに捧げた<Biko>という曲を 聴いていたら この映画を 再度観たくなり 観ることにしました。もう20年以上も前に 一度観ましたが あまりの素晴らしい映画で 何度見ても 心に迫ってくるものがあり 一人の人間として 生きているうえで 大切なものを 教えてくれる映画と言っても 言い過ぎではないと思うほどです。



Peter Gabriel - Biko



 南アフリカのアパルトヘイトと言われる黒人人種差別政策の中で 黒人指導者スティーヴ・ビコとの交友を通じて この悲惨な差別のことを 一人の勇気ある白人が 世界に訴えようと 命をかけた物語で 悲惨な歴史の実話に基づいたストーリーを <ガンジー>を撮ったリチャード・アッテンボロー監督が 1987年に制作したイギリス映画です。



 スティーヴ・ビコ(デンゼル・ワシントン)と白人の新聞編集者ドナルド・ウッズ(ケヴィン・クライン)が 交友を 深めていくところから 始まります。警察長官でさえ 人種差別を繰り返す現状に 立ち向かっていくビコは 拷問の末に獄中死してしまいます。後半では ウッズが 真実を訴えようと国外脱出を図るシーンが描かれています。その後 亡命が成功し 1978年 ビコの死の真相が 書かれた「ビコ」が 世界に発表されることになります。そして この映画も 作られました。



ウッズが 南アから逃亡中に ビコと語り合っているシーンがいくつか回想として出てきます。二人の何気ない会話が 私は すごく自然で 好きな場面です。



「我々黒人の最大の問題は白人の差別より自分たちの劣等意識だ」

「我々はこの国を変える! 問題はその最上の道を探す事だ」

「我々の怒りは当然だが 忘れてはならない 我々の最大の敵はある種の人間が別の人間より優れているという考え方だ」

「子どもに黒人の歴史を教え 我々黒人の持つ伝統を文化を教えれば白人の前での劣等感から解放される」

「対等の立場で彼らと向かい合う闘いを採るなら 手を広げて言おう」

「我々は住む価値のある南アを建設する 白人にも黒人にも平等の国を 美しい国土とそこに住む我々のように 美しい南アフリカを」



 ビコの思想は 決して白人より優位に立って支配することせず 同じテーブルについて話し合い 平等な世界を 目指すというもので まず黒人が意識を変え、白人と対決できるだけの誇りを持ち続けることが大切だと主張しているのです。決して危険な思想ではないことが わかると思います。



 ビコの葬儀の場面では 多くの黒人が彼の死を悼みに訪れ、右手を突き出して「ココシケレリ・アフリカ(アフリカの歌)」の大合唱が始まります。涙を誘う感動的な場面です。そして ラストは アパルトヘイト活動者たちの氏名と没年および享年、政府発表死因が連続的に表示されて 終焉。

Nkosi Sikelel' iAfrika - Cry Freedom [1987]



 一体 何人の黒人が 不当な殺され方をして 命を落としてしまったのか を 想像すると 涙が あふれてきそうになります。
まるで 悪夢を観ているような この映画の世界は 実際に起こっていたこととして認識し この悲惨な歴史より 色々なことを 学んでいかなければいけないと 一人の人間として改めて思いました。そんなことを 教えてくれた 私にとっても大切な映画でした。













映画<リトル・ブッダ>を観て!


 <3部作>と言われている作品には 一つだけでも 充分納得できる内容なのですが 3つ揃えば もっと違った次元で理解できる様な気がしてきて その言葉の響きが 少なからず 自分では弱い方だと思っています!


例えば 本だったら


村上春樹の<羊三部作>
(『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』)

宮本輝の<川三部作> 
(『泥の河』『螢川』『道頓堀川』)


音楽がだったら
スティーヴィー・ワンダーの<黄金の三部作>
(「トーキング・ブック」「インナーヴィジョンズ」「ファースト・フィナーレ」)


映画だったら
ベルナルド・ベルトルッチ監督<東洋三部作>と 言われている
『ラストエンペラー』『シェルタリング・スカイ』『リトル・ブッダ』がありました。


前ふりが長くなりましたが その中で 今回 興味があったのですが 観ていなかった<東洋三部作>の一つ『リトル・ブッダ』を 観てみました。1993年の作品です。


簡単に言うと生まれ変わり(輪廻転生)の話を イタリア人であるベルナルド・ベルトルッチ監督が 東洋の仏教の世界を 通して どのように描くのか?ということが この映画の 面白いところで 『ラストエンペラー』『シェルタリング・スカイ』に続く作品として 興味深い所です。





 



シアトルに住むコンラッド夫妻のもとに、ある日チベット仏教の僧と名乗るノルブが訪問します。コンラッド夫妻の息子であるジェシーが、9年前に亡くなった高僧の生まれ変わりではないかということであった。唐突な申し出に困惑する夫妻だったが、夫の親友の事故死をきっかけに、ノルブに誘われるままジェシーを伴ってヒマラヤの秘境ブータンに旅立ちます。ブータンにはジェシーのほかに二人の生まれ変わり候補者が待っていて、最終的な選考手続きが始まります。





 メインストーリーに並行して、感動的なゴーダマ・シッダールタ王子の半生記が描かれています。その釈迦牟尼が悟りを得たひと(仏陀)になるストーリーは 手塚治虫の『ブッダ』の漫画や映画で有名だと思うのですが 実写化された映像は また別の意味で 感動しました。王子役のキアヌ・リーブスは 男前過ぎで かっこよすぎる 西洋から見たイメージが 面白いところでもあります。



最後は 3人のうち 3人とも 生まれ変わりではないか?という決定で終わってしまいます。チベット仏教寺院での儀式は 迫力がある演出で 盛り上がった場面で 派手では ありませんが 大変感動的でしたした。


3部作の 他の2作は


1987年の清朝最後の皇帝である溥儀の生涯を描いた『ラストエンペラー』は 当時観ました。溥儀という人の運命が いかに奇怪であったのか?という物語でした。







そして 北アフリカを舞台に、活気を失った一組の夫婦が辿る過酷な運命を描いた恋愛映画『シェルタリング・スカイ』も観てみました。
「人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。 だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。 自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、 あと何回心に思い浮かべるか?せいぜい4,5回思い出すくらいだ。 あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。 だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。」

と最後は原作者ボウルズ自身が出演し、上の言葉を残して終わるという意味深な映画でした。正直 わかったようなわからなかったような神秘的で不思議な映画でした。





と 以上がベルナルド・ベルトルッチ監督の<東洋三部作>でした。3作品とも 映像に これしかないというほど 坂本龍一のせつないメロディが 使われているのは やはり 印象的でした。 


他にベルナルド・ベルトルッチ監督作品で まだ観ていない作品は 1976年に発表した『1900年』という20世紀前半のイタリアの地主と小作人の物語があって ロバート・デ・ニーロジェラール・ドパルデューが 共演している映画があります。なんせ5時間16分。気合い入れて 観てみたいと思います。大阪マラソンが 終わってからの お楽しみにしておきます!!

大阪マラソン2016 に向かって! その②

 



10月30日の大阪マラソンまで 2か月を切りました。8月は 本当に暑かって 走る気も失せてしまう時もありましたが 3走1休(3日走って 1日休む)を ルーティンワークにして 1か月で合計253Km 走りました。



 夜の11時 仕事が 夜勤の日でも 帰ってきて 食事もとらず 空腹のまま 走りに出かけたりもしました。夜なので 少しは 涼しくなっていそうですが 全くダメで 汗だくになりながら とりあえずは5Kmは 走ったりしました。


 仕事が休みの日には 暑さを避けようと 頑張って早起きし 20Km走りましたが 暑さと足の重さで なかなか普段通りの練習は できません。ゆっくりと 1㌔6分ぐらいで 走ったりしました。


 さらに ランニングクラブの練習会では 木の生い茂った公園のクロスカントリー・コースの一週が 約350mのコースを 20周 走る練習をしました。アップダウンのある砂利道やでこぼこ道を 一㌔5分のスピードより徐々に上げていき 一㌔4分まで上げるというものです。17周までで 一㌔4分に上がってからは ついていくことができません。


 またインターバル走では 400mを 一㌔3分40秒のスピードで走り 200mジョグ×10 という練習もやりました。これもラストの2本ぐらいになると 力尽きて なかなか最後まで ついていくことができませんでした。


なので 253Km走ったといっても まだまだ やり足りない気がしてきて このままでは 去年より いいタイムを 出すのは厳しいものがあるんじゃないかと。ちょっと 気がかりでなりません。



そんな不安を打ち消すには さらなる練習しかありません。9月は 目標300Kmに 設定して 頑張ろうと思っています。最低一日10Kmで 休みの日は 30Kmが目標です。


20Km走だったら 30Km地点までもつが それ以降はもたない!
一日の間に とにかく30Km走りこまないと ゴールまで 自分のペースで走ることはできない。途中で休んでもいいから 週2回は 30Km走りこまないと 自己ベストはでないであろう!



と 同じランニングクラブの30歳代の男の子に 言われました。彼は 今シーズンに 念願の3時間を 切って サブ3を 達成しました。なので 説得力があります。そして 彼の知り合いには 50歳を超えても 初めてサブ3を達成した人もいるので ぜひ頑張ってください!と励まされました。めちゃくちゃうれしかったことを 思い出しながら あっそうか!そういうことなのか!と 頭ではわかったつもりで トライしてみようと 思いました。 
 
 実際どうなることやらわかりませんが やるだけのことはやって 頑張ってみようと思います。


9月に入っての走行距離は 11日の練習を終え 117Km。まずまずのペースで進んでいます! この調子で 故障なくいけるといいのですが。(脚の付け根のあたりと ふくらはぎが 張っていて なんだか怪しいですが)24日には 去年に引き続き 金岡ディムライトゲームで 5000mを 走ることになっていて 大阪マラソン前の最後のレースで 去年の記録 18:45;54 の更新を出し 励みをつけたいです。

カミュ<異邦人>を読んで!



 最近は 読み返しや 見返し映画、それも スタンダードなものを よく読んだり 観たりしています。この本も ずいぶんと前に読んだ本ですが 再度読みたくなり 読んでみました。私の中では サリンジャーの<ライ麦畑でつまえて>のホールデン・コールフィールド と、太宰治<人間失格>の大庭葉蔵、この<異邦人>の主人公、ムルソーは 永遠のヒーローで憧れです。いい年して 笑われるかもしれませんが。





 不条理の原理とか 実存主義文学の金字塔だとか 少し難しい言葉で 語られることが多い作品ですが 小説としても面白く 登場人物や街の風景が生き生きと描かれていて 30年ぶりぐらいに 読み返しても やはり 新鮮で 訴えかけてくるものがあり やはり素敵な小説です。



 きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス」これでは 何もわからない。恐らく昨日だったのだろう。


 この書き出しを 読んだだけで <異邦人>だという強烈なインパクトを 受けます。1942年作で アルベルト・カミュが29歳の時の作品です。2部構成に なっていて 一部は 主人公ムルソーが 母親の葬式に 言ったところから ふとしたことで アラビア人を 射殺してしまうところまで、二部は その後 警察や司法関係者との司祭の間で交される場面です。
 
 
 一部の 主人公のムルソー、恋人のマリイ、同じアパートに住むサラマノ老人と犬、友人のセレスト、そしてムルソーに殺人を犯させるきっかけを作る遊び人のレエモン・サンステと彼の女、、、。これらの人々は 今を生きているかのように 感じられます。
 
 二部では 死刑執行の前夜に 訪れた司祭に 掴みかかります。
 
他人の死、母の死 そんなものなんだろう。いわゆる神、人々の選びとる生活、人々の選ぶ宿命 そんなものに何の意味があるのだろう。ただ一つの宿命がこの私自身を選び、そして、君のように、私の兄弟といわれる、無数の特権ある人々を 私とともに選ばなければいけないのだから。君は わかっているのか!


ムルソーは 母親の死に 涙も流さず 悲しみも覚えず、偶然から人を殺し、その後普通に女性と遊んだり海水浴したり。
常識からいって 世間では あり得ないことかもしれない。
そして殺人の動機を 「太陽のせい」と言ってしまう。それが故に 死刑が言い渡されてしまうのです。


果たして それは 正しい認識なのか そうではないのか?




ってな感じの小説でした。なんか中学生の読書感想文を 書いているような感じがしてきましたが 拙い文章を 最後まで お付き合いくださり ありがとうございました!