ちょこっと感動日記

毎日のちょっとした熱~い感動を綴るマイブーム日記。音楽、本、マラソン、映画、サッカーのこと あれこれ!

ストレスフリー超大全



前回の続きで ストレスフリーについてです。


 随分と昔の話ですが 仕事場で ちょっとした役職についていた頃 今思えば ストレスの極地だったんじゃないかと思っています。いわゆる中間管理職っていう奴ですが 組織の一部として 上司からの細かな指示が出て 実行して 成果をあげなければいけないことと 部下に 伝達して 同じように 実行して 成果をあげなければいけないことが 同時にうまく事が運ぶわけでなく 目標が達成できず ストレスが たまりまくった時期が ありました。  


 一生懸命に 精魂かけて がんばれば 自分にだって 出来る と 勘違いしていたのですね。その人によって 出来ないこともあり 出来ることもある ことを この時期に 冷静になって判断できれば もっとよかったのに。と 考えることがあります。


 今では 出来ることは 出来るけど 出来んもんは できん!と はっきりと割り切れるようになったのは やはり その頃と比べて 年齢を 重ねたおかげでしょうか。




その頃に この『ストレスフリー 超大全』という本を 読んでいたら もう少し まともな振る舞いができて ストレスが たまりまくって 精神科に行って 睡眠剤を 服用してもらう必要が 無かったかもしれません。



精神科のお医者さんが書いているこの本で 90%の共通の悩みが 解決できると 言っています。


 その共通の悩みや生き方は 心理学や社会学、哲学や宗教で 答えが出ているとし それらをいかして 一体 何をするのか。すべきか。を 解説してくれています。そこがこの書のいいところであると 私が思った所以です。


分厚い本で こんなこと書いているものは ごまんとあり どれも似たような内容で いちいち手に取ること自体が ストレスになるのでは。と初めは そう思っていましたが ストレスの一つ一つの要因を 細かく書かれ しかも どうやって 取り除くかの方法、基本どういう風に 考えればいいのか。などは 絶対役立つだろうと 思いました。




そんなことを 書いていると タイミングよく 職場から ストレスチェック個人結果というものが 返ってきました。今の時点では 抱え込んでいないが 普段から 抱え込まないよう心掛けてください。と。この本を もっとよく読んで これからに 備えたいと思います。

ストレスフリーな生き方


 つい先日 膝の調子が 元に戻らなくて ランニングの代わりに ウォーキングして 引っ越してきた街を ウロウロしていた時の事。毎日 スマホの歩数計で 15000歩目標にしているのですが その日は 全く足りなくて 夜の10時くらいで 少し離れた地域を 歩いていました。それもこの暑さの中。
ふと 前を見ると 細長い物が。そうです お財布でした。中に見てみると 現金3万円、免許書、マイナンバーカード、保険証、クレジットカード、イコカ、キャッシュカード、そして 絆創膏。


交番を探して もちろん届けました。そして その4日後 持ち主から 連絡があり 自宅に お菓子と商品券を お礼として 持ってきてくれた。という事がありました。


正直な私の想いは これだけ たいそうなものと現金が 入っているのを 届けたのだから せめて1万円以上は お礼として もらわないと 割り合わんな!と。


ところが そのお礼というのが ダイエーの商品券5000円のみで 現金は ありませんでした。少しがっくりしましたが 60歳くらいのおっちゃんで 結構しっかりした言葉使いだったので まあいいか。もらえただけ ありがたい話だなあ。と。


昔 職場の友達が 現金が 6万円入りの財布を拾った話があって すぐに 持ち主に電話して 6万の内3万円もらうけど いいか?と連絡をしてから 3万円と免許証を 警察に届けたという話と 思い出し 自分も そうすればよかった。と 後悔するばかりで 自分で自分に 腹が立った という事がありました。友達には いい事したのだから よかったやん!と笑われましたが 余計に 悔して 仕方なかったです。


たまたま ダイエーの商品券が使える本屋さんが 近所にあったので よし こうなったら好きな本を いっぱい買ってやるぞ!と 意気込んで 出かけました。村上春樹の新刊や 今 はまっている原田マハの絵画もんの小説数冊、痴ほう症の親父に関する本、人類が戦ってきた感染症の歴史の本、そして 本屋さんの正面に 紹介されていた この<ストレスフリー 超大全>という350ページにも及ぶ本です。5000円のつもりが 清算すれば なんと6800円と はるかに 予定金額より 超えていました。笑


前置きが長くなりましたが すでに 時の流れに 身を任せて 行動している自分を 少し考えていると ストレスフリーに もうすでに なっている自分がいて 改めて 笑ってしまいました。
なあんだ。ストレスを 感じないで 生きるって事は なすがなるままに してればいいねんね。と お釈迦さんが言われた言葉のような感動ではないのですが 少し近い感じです。


随分 長くなりましたので 本の内容は 次回に書きたいと思います。笑

どうなるバルセロナ?メッシは何処に?






 サッカー、スペインのラリーガのFCバルセロナは チャンピオンズリーグの準決勝で バイエルン・ミュンヘンと対戦し 8-2で これでもかと 大量失点で敗退したのは 記憶に新しいことです。その後 セティエン監督は 真っ先に解任になり 新監督に オランダ人のロナルド・クーマンを 迎えることになりました。そのクーマンは タイトルを無冠で終えたチームに 大なたを振り 改善策を 次々と行っている最中です。


 そして 会長であるバルトメウは 次期構想のメンバーを メッシ、グリーズマン、デ・ヨング、ラングレ、セメド、テア・シュテーゲン、デンベレ、アンス・ファティのなど 加入新しめの8選手を あげています。




 そして 気になる構想外のメンバーは 直接 電話で 伝えられたと 報道されています。ちょうど チームは オフに入り リゾート地に 出かけている最中に 君は 戦力外なので 新たなチームを 探せ!というのです。メッシと共に バルサを支えてきたウルグアイ代表のルイス・スアレス、昨年から入ったチリ代表のビダル、クロアチア代表のラキティッチ、フランス代表のウムティティ と伝えられています。そして バルサの完成品だったジョルディ・アルバや ブスケッツ、ピケまで 名前が挙がっているそうです。しかし 契約が まだ残っていて 違約金を払ってまで 手に入れたいチームが現れるかは 現実的ではないものだと思われます。


 そして 一番気になるのは 世界で一番サッカーが上手い男 メッシについては クーマンの構想には 入っているが 退団を希望している故が 伝えられています。けれど 今までのように メッシを 特別扱いしないと言い切っています。メッシ中心に チームを作ってきた歴代の監督たちのやり方では もう通用しない現実になっているかもしれません。
契約の関係で 8月31日からの練習には 参加予定になっているので このまま 新体制でも 活躍してほしいと思うのは 私だけではないと思います。





 でも もし決裂してしまって 移籍しなければいけない状況に追い込まれた時 一体どこのチームに 行くのだろうか?と世間の話題が これ一色なのが 現実です。100億円近いサラリーを 出せる球団は 限られていますが 師のベップ・グラルディオラ監督のマンチェスター・シティと いうのが オッズが 高いようです。ネイマールがいるパリSGも 高そうです。日本のヴィッセル神戸には イニエスタがいて キャリアを終えるには 理想の場所と メッシは 語っていたので 全く可能性がないわけではないのです。





 私の浅はかな考えですが サッカーで 一番強いチームと言えば FCバルセルナ、一番うまい奴は メッシだと ずっと思ってきました。レアル・マドリー、バイエルン・ミュンヘン、マンチェスター・シティでもありません。やっぱり バルサなのです。そして クリスティアーノ・ロナウドやネイマール、サラー、レヴァンドフスキーでもありません。やっぱり メッシなのです。そう思います。


なので メッシが もう一度 バルサに 愛着を取り戻し 新体制で プレーしてくれることを 希望してます。アルゼンチン代表のチームさえ どこか違和感があり 活かしきれなくて 優勝できないのに 他のチームで プレーするメッシを 活かしきれるわけが ありません。スペインのラリーガ以外のチームで プレーするメッシなんか見たくもありません。やっぱり バルサのメッシで いてほしい!と 思います。





でも ネイマールとスアレス、メッシのMNSトリオが 再び実現することは 夢の夢になってしまいました。南米の強国の3人が 世界最高峰のスペインで プレーしていた頃が やっぱり 忘れることができない私です。

アルフォンス・ミュシャ展

 


 大阪 堺市にある 堺市立文化館ギャラリーで 開かれている 生誕160周年記念 アルフォンス・ミュシャ~創作の軌跡 に行ってきました。長女の最近のお気に入りで 誘われてです。娘が 映画、音楽だけでなく 絵画も 好きになってくれたのは 父親としては やはりうれしいものです。幼い頃から 美術館とか個展とか わけもわからないのに 連れて行ったり 家に 絵やポスターを 飾っていたのが 少しは 芸術の扉を 開けることになったのかと思えば うっしっしい気分です。




 アルフォンス・ミュシャは アールヌーヴォーを代表する男性アーティストで 1860年に チェコで生まれました。パリの大女優サラ・ベルナールのポスターを作り 有名になりました。国のために 無償で 切手や紙幣、警官の服などをデザインしたり。戦争がない平和な世界のためならと 依頼を 引き受けたそうです。




 カメラのドイの創業者 土居君雄氏が 生前 収集したコレクションの他 現在は堺市所蔵となっている約500点の展示されていて 転機にもなった1900年のパリ万博での作品や 祖国チェコの独立と平和を願って創られた作品などを 紹介されています。



 女性の表情が すごく生き生きしていて お上品にセクシーで 一目見ただけで ひきつけられるような魅力を持ったデザインは アメリカ的でもあり ヨーロッパ的であり 素晴らしいんじゃないかと 思いました。


デザインされた切手です。おしゃれで かっこよく 一つ一つが 洗練されていますね~





あまりにも 素晴らしかったので 思わず買ってしまったポストカード群ですが 娘との意見が一致して このデザインは 大きく飾りたい!とのことで A3のポスターを 購入!
なんと 一枚500円でした。ちなみに ポストカードは 一枚100円。入場料は 
大人 510円でした。なんと 良心的なことか。
 



そして 最後は ポストカードの レプリカで 売り切れの物が 何点かあり 手に入れられなくて 残念でしたが 一枚だけ お気に入りがありましたので ゲット!!
 


 成長した娘との楽しい時間でもありましたが 素晴らしい絵も たくさん見ることができた いい一日でした。また こんな日が 来ることを願って。


 ゴッホ、ピカソ、ルソーなどなどの画家の生涯の一部を 小説という形で 楽しませてくれる 原田マハさんの本を読み 絵の背景や深さ、伝わってくるものを 少しでも 教えてもらい 自分なりに 考えたりすることは 最近の私の小さなマイブームになっています。その話は またの機会に。

『ロベルト・バッジョ自伝』を読む


 今回は 少し回想です。よく行く古本屋で こんな本が 安く売っていたので 買って 読み終えました。昔 憧れていた イタリアのファンタジスタ、ロベルト・バッジョの自伝です。


 ちょうどJリーグが開幕した1993年以降 サッカーの魅力が 何となくわかりかけてきた頃で TVで カズの姿を観て なんてカッコイイんだ!と 魅了され カズのファン、サッカーの虜に なってしまいました。それまで 野球を 観るのが好きだったのですが もうどうでもよくなり これだけ 情熱的に のめりこんでいく 自分が 少し恐ろしくもなりました。


 サッカーには ワールドカップが 4年に一度あり 予選をパスした 世界の強豪国だけが 出場できる タフな戦いがあることも この頃知りました。1994年に 初めて アメリカで 開催されtワールドカップは 私にとって 忘れがたい大会と思っております。カズを要する日本代表は あと何十秒というところで コーナーキックから イラクに 押し込まれてしまい アメリカ大会に 行くことができませんでした。いわゆるドーハの悲劇と言われている ドラマティックな瞬間でした。



 そのアメリカ大会を 64ゲームあるうちの 半分くらいのゲームを 録画したりして 観るくらいの 熱の入れようです。圧倒的だったブラジルのロマーリオ、ベベット、アルゼンチンのマラドーナ、バティストュータ、ドイツのクリンスマン、ブルガリアのストイチコフ、オランダのベルカンプetc 素晴らしい選手は たくさんいましたが その中でも 私が 特に好きだったのは イタリアのロベルト・バッジョでした。どこが どう好きか と言われても ただかっこいいとしか いいようが ないのです。


 ブラジル代表 はセレソンと呼ばれていますが イタリアは アズーリという愛称で 呼ばれています。そのアズーリのサッカーというのは 守って守って カウンターでしとめる という固いサッカーが特徴で 1-0で 勝つことを 美学としている感があります。


 そのアズーリが 決勝まで 駒を進め 迎える相手は 超攻撃的は セレソン!
120分 戦い 0-0。PK戦になり ラストに バッジョが 廻ってきて ボールを 枠の外に吹かせてしまい ブラジルの優勝が 決まりました。



 この本は ロベルト・バッジョが 34歳の時に書かれた 自伝的内容になっていて サッカーに対する考え方、仏教をどうして 信仰するようになったか、好きな監督、嫌いな監督、趣味の狩りの事 インタビュアが 出版会社の社長の人で 突っ込みが 鋭く 答えたくないようなことも 書かれています。
中でも 狩りのことについて 答えるシーンで 鉄砲で撃って 生き物を 殺してしまうのに 仏教徒として 慈悲を 感じないのか? などと 少し意地悪な質問も しているが しっかりと 正直に 答えている所なんか 好感が持てました。


 当時は 師匠の創価学会の池田大作会長がいる日本のJリーグで プレイするかも?とのうわさもあったが 結局 外国で プレーすることなく イタリア国内のチームで 選手生命を終えました。当時は もちろん ダゾーンもなかったので プレーする姿は 観れませんでしたが バッジョが ユベントスやミランで ゴールするシーンを 観たかったなあ!とつくづく思ったりします。