ちょこっと感動日記

毎日のちょっとした熱~い感動を綴るマイブーム日記。音楽、本、マラソン、映画、サッカーのこと あれこれ!

眠れぬ夜

 
 遠い昔 <眠れぬ夜>というオフコースが 歌っていた曲がありました。西城秀樹も 歌っていましたっけ。歌詞の内容は 覚えてませんが きっと恋煩いのことを 歌っていたのではないかと思います。
私も そんな心境で 眠れない夜が おくれれば ハッピーな気分なのですが 実際には
咳込んで 眠れない夜を むかえていました。


もともと 私には 喘息の気があり 風邪をこじらしたり 花粉が 飛び始める頃に 症状が 出てきます。時期的には 2月から5月までで それを過ぎれば まるで 何事もなかったかように 完治してしまいます。 


それが 今回は 特にひどくて 長引いてしまい 大変つらいに日を 送る羽目に 落ちってしまったのです。何度も医者に通い 薬をもらいましたが ますますひどくなるばかりで だんだんと 薬の効き目の強度が増されていき 今日 やっと効き始めて 咳が 治まりました。ちょうど ひどくなりかけてから 5日目の事でした。


その間 食欲は 普通にあるのですが 何もやる気が 湧いてこなくて ぐったりしていて 発作がいつ出だすか おびえて 送る日々でした。PCもできず 音楽さえも 聴く気がしません。仕事は 休まなければいけないし 散々な今週でした。


今 PCの画面に 見ることができて どれほどありがたいことか 実感しています。
ぐってりしている時は 色々と思いました。このまま 咳がで続け 何もやろうという気がしなくなったら どうしようか?死んでいることと同じではないか?などと。ちょっと大げさですが。


元気になったら この感謝の気持ちを大事にして 毎日を 送っていきたいなあと思います。


ついに ブログでは 定番の怪我ネタや 病気ネタに 突入してしまいましたが 年をとるというのは こんなことを 経験することが 多くなってくるのでしょうね(笑)

走ること 断念!

 


 ついに この日がやってきてしまいました。仕方がないこととは言え 熱を入れて がんばっていただけに やはりショックです。昨年の11月の大阪マラソン以降 左の膝が 響くように痛く 最近では 階段の上下も 痛みが 響いてきて 走るどころではありません。


 ランナーは 激しい運動を 定期的にするので 故障は つきものです。しかし この痛みが 続くのは やばいやあと 思っていましたが どこかで 練習さえしなかったら ほっといてでも 治るやろうと 少し甘い考えが あったのは 正直なところです。


ランニング・クラブの店長に 膝に詳しい整形外科を 紹介してもらって 行きました。
MRIを撮り 膝を見せた結果 すぐに ランニングは 辞めて 水泳にしなさい。と ドクターに 言われてしまいました。


 半月板の裏が 損傷していて それを支えている骨も 割れていて 常に動かすところなので くっつかない状態で 着地するときに 響いて痛むというのです。そして 膝の摩擦するところの軟骨が 誰でも 年とともに すり減っていくのですが 私の場合も 年齢相応に 減ってきている との診断でした。手術して 3か月ぐらい安静にするのも 方法の一つですが リスクは 伴うとのことで 定期的に 注射を打って 痛みを 和らげるような だましだましの方法が ベストではないか と。


もう走れないという事です。歩くのも リスクが 伴うとも 言われました。
まだまだ仕事も 続けなければいけないし 車いす生活になることも 避けなければいけません。なので 走ることは 断念せざるをえないという事です。



たらればも いっぱいありますが 約8年間にわたって がんばれたことは 自分にとっても いい経験になりましたし 色々な人と 出会えたのも 楽しかったので やっぱりよかったと思いました。フルマラソンは 17回完走しましたし こんな自分でも やればできるんや!という自信にも つながったのではないかと 思います。


今回 この決断に至るまで いろんなことを考えましたが これが 年齢を 重ねることかもなあ!と思い あきらめないといけない時は 素直に 従おうと 思いました。
いつまでも若くはないんだと 思っているのは 気持ちだけで 身体も 大切にしなければ いけないという事が 身に染みて わかりました。


水泳を 始めようか 今のところ 検討中ですが 環境が 整えば やろうと思っています。やはり身体を 動かすことは 生きていくうえでは 不可欠ですね。
これから 少しずつ 考えて行こうと思います。

塩田武士<罪の声>を読んで



 ずっと読んでみたかった塩田武士さんの<罪の声>を 読むことができました。30年以上前に起き 未解決事件となっている<グリコ森永事件>を モチーフにした 読み応えあるストーリーには つらい過去に 耐え抜いてきた 一人の人間の再生の物語でもありました。子どもの声で 録音されたテープが 使われたことは 当時 私は 19歳でしたが TVで報道されていたことは すごく印象に残っています。


 その使われた子供は 実は3人いました。そのうちの一人 テーラーを営む曽根俊也が 自分の母親のタンスからあったテープが 事件に使われたテープで それが 自分の幼い時の声が 使われていたことを 発見してしまったことから 物語は始まります。
同時期に この未解決事件の特集を企画した大日新聞の記者 阿久津が 独自の取材で この事件を探っていく 2次元中継で 物語が 進んでいきます。


途中 数多くの人たちに接して 少しずつ 事件の概要を つかんでいきます。過去に 犯人は どういう目的で どんな人たちだったのか と 色々語られていきす。株式の操作が絡んでいた?、警察に恨みを持つ者の犯行?、社会に反抗する者の犯行か? 身代金目的?北朝鮮説?などがありましたが ここで描かれているのは 北朝鮮説以外 すべてあてはまっている集団の犯人グループ6人で その中には 計画するもの、実行犯、青酸カリなどの調達と詳細者などがいて 元警察官ややくざ、左翼系の人たちが それぞれの目的をもって 絡んでいたという事です。その中で 面が割れているのが きつね目の男。一連の事件は その6人中心で それら複雑に絡み合った中 犯行は 行われます。


 この事件には モデルとなった事件が あったのは 少し驚かされました。オランダのビール会社ハイネケンの社長が 誘拐され 身代金を 要求されたという事件が 4カ月前に 実際あったそうです。


 もちろんこの小説は フィクションですが 発生日時、場所、脅迫や挑戦状の内容などの事実関係は 極力再現したしたと 作者が書かれている通り 本当に起こったかのように 迫ってくるところがあるのは この小説のリアルで興味深いところです。ただ固有名詞は さすがに変えられていて グリコは「ギンガ」、森永は「萬堂」。そして「かい人21面相」を 「鞍馬天狗」と名乗っている所が 作者のユーモアかもしれないです。


そして この事件の犯人グループからの一連の警察への脅迫状にも どこかユーモアがあり 大阪人の心を とらえていて 面白がっている風潮は 確かに あったと思います。少し 不謹慎ですが。なぜ 大阪人の心を とらえたか?大阪人は 根本的に 強い権力と金持ちは 大嫌いなのです。(笑)



そして 他の読書感想を 調べていたら こんなのが 出てきました。(笑)



わしらのこと ぎょうさん しらべた ようやな
あのころ どくいり きけんの かし くわんで よかったのお
かわんかった おかあちゃんに かんしゃ せえや
警察 は いまでも あほばかりや
きみらと ちごおて ぜんぜん せいちょう しとらん
せきにん とるやつも はんせい するやつも おらへん
この ほん よんで よお わかった




 最初に 戻りますが この事件で 一体だれが 一番犠牲になったのか という事で 脅迫に使われたテープの子供の人生が 滅茶苦茶になってしまったというストーリーが 続きます。本当に悲しくなり 涙を誘います。この部分だけでも 大変価値ある人間物語で 物語をただの事件で 終わらせない 作者のうまさが 光っている場面だと思いました。 
  


グリコ・森永事件(グリコ・もりながじけん) Wikipediaより
1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に、阪神を舞台として食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件。
警察庁広域重要指定114号事件。犯人が「かい人21面相」と名乗ったことから、かい人21面相事件などとも呼ぶ。
2000年(平成12年)2月13日に愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、全ての事件の公訴時効が成立し、この事件は完全犯罪となり、警察庁広域重要指定事件では初の未解決事件となった。  
                                 Wikipediaより

Jリーグ開幕戦 セレッソ大阪vsヴィッセル神戸


 待ちに待ったサッカーJ1リーグの開幕です。2019シーズン幕開けは なんとセレッソ大阪vsヴィッセル神戸の長居スタジアムのゲームが 金Jとして 選ばれました。
プロレスの興行用のポスターみたいな広告には イニエスタ、ポドルスキに加え ビジャや 昨年までセレッソで活躍した 山口蛍まで 写っています。あんまり かっこいいポスターとは思いませんが 気のせいでしょうか(笑)


 もちろん 仕事を休んで 行ってきました。今回も 職場のサッカー・フリークでもあるO氏と一緒です。元FW選手からの視点は 私のようなにわかファンとは違って 大いに説得力がありますし、楽しいです。


 席順を取りに行ったのが 12:30。キックオフの7時間前です。この一試合のみが 一日前の開幕試合なので マスコミ関係やイベント騒がしかったのもありますが 対戦する神戸は ワールドカップ覇者の強力なVIPトリオ、ビジャ、イニエスタ、ポドルスキーの世界的にも有名な選手たちに 注目が集まっています。そして セレッソから移籍した山口蛍、鹿島から西、ガンバから初瀬も 揃ってスタメンです。


チケット完売で 満員の長居スタは 42221人。


  


ホームのセレッソは 監督が 智将、戦術家と言われているスペイン人のロティーナに代わり 楽しんで観ていられるサッカーを 目指します。主力3人が 引き抜かれ 代わりに 入った5人が 穴を 埋めることができるのだろうか?ロティーナの戦い方に ついていけるのか?そして 効果的に 機能するのか?セレッソサポは 期待と不安で いっぱいの開幕戦になりました。



入場者全員に 配られた セレッソ・ベースボール・シャツを着て
エスコートおっさんとして イニエスタと入場した 木梨憲武↓↓


(キックオフ 7時間前。取り付けられたばかり。早速 パチッ!)


新加入の大型FW都倉賢は ベンチスタートとなりました。そして 先発メンバーが発表されました。(桜の新⑨は 杉本健勇より点を 取ってくれると思って 期待しています。)




さあ!キックオフです!今シーズンも 行くぞ!と 気合いが入ります。





見てびっくり!練習でも公開してなかった3バックです。去年なら 長身のスペイン人オスマルが 一角に入ってましたが 今回初めての3センターバックです。そして ソウザと組むボランチは 仙台から来た奥埜が 蛍の代わりに入りました。右SB松田陸の代わりには U23の船木が J1デビューしました。1トップは 柿谷。そうくるか?とにんまりしたのは 私だけではなく セレッソサポは 思ったことだろうと思います。


一方 神戸は 前線に VIPトリオが 並べられました。リージョ監督が公言している バルサ化システムには センターフォワードは いません。ゼロトップです。3人が 動くまわって パスを受けて シュートというのが狙いです。(実は ここに落とし穴があったかもしれません。なぜなら 神戸には メッシは いませんので。)


前半はワールドクラスのビシャは 前半は タッチライン沿いに張り付いて チャンスを 狙っていました。37歳ですが 動きが緻密で イニエスタからパスを もらうのを見ていて ドキドキしてきて 尋常ではありません。前を向いて 切り込んでいき 3人のDFが 抜かれた場面では 頭の中が 真っ白になってしまうほどです。


イニエスタが ボールさばきが さすがやなと思える自然なタッチが 素晴らしく 一瞬でDFを はがしていくシーンは 敵ながら あっぱれでした。そのイニエスタには J1初出の船木が 対応していて かわされる場面もありましたが なかなかいい働きをしていたのが収穫。ロティーナに 気に入られたという才能も セレッソにとっては うれしい動きです。


前半が終わり 0-0。ボール・ポゼッションが セレッソが なんと28%です。神戸に どれだけ ボールを 廻されていたのかがわかりますし それでも ゴールを 割らせなかったセレッソの守備陣の頑張りが 光ったといえるような展開でした。全員で 守っていた前半 DFラインのウラを狙う攻撃をしていたトップの柿谷だけが 取り残された感じがしていて 後半は 都倉のいることだし 代えてほしいなあ!正直思いましたが。



ハーフタイムには なんとNMB48が 新曲を 披露してくれました。NMBって こんなに かわいい子たちの集まりだったんですね!何も知らない おっさんは ビックリでした。毎ゲームに来てほしいです!(笑)


さて 後半です。少し興奮していたせいで 長場となります。柿谷は 交代せずで 神戸もチェンジなし。64分に ロティーナは 動きました。運動量が 落ちてきた 水沼に代わって 待ってました!都倉の投入です。えっ!柿谷ちゃうのっ?と 疑いましたが システムを見ると 水沼の所に 柿谷が下がり トップに 都倉が 入りました。
これがきっかけで セレッソの攻撃が だんだんと加速してきました。


都倉は 戻って献身的に守備もやりますし 柿谷も 2列目の方が 機能し動くも よくなってきました。セレッソの戦いは これや!と思いました。完全にセレッソのペースで 決まりませんでしたが 都倉とソウザに 惜しいシュートがあり 盛り上がります。神戸の方は スタメンは 超豪華でしたが 流れを変えれるほどのサブは いないのですね!


77分 丸橋からの絶妙なCKから 木本が合わせ(ハンドかもしれなかった)こぼれ球を 山下が 合わせて 貴重な一点を ゲットしました。これでもしかしたら 勝てるかもしれない と思って ますますドキドキしてきました。山口蛍が 少しでもボールを持つと 激しいブーイングが 起こる中 (私も 声が枯れるほど でしたが 笑)失点なく終え 勝利することができました。



泣きました。今日は。いくらセレッソが好きでも 今日の相手は どう考えても 勝たれへん!4-0くらいで 負けると 思っていました。



ロティーナは 今日の勝利は これからの自信になるだろう!と。


たった一カ月と少しで ここまでまとめあげたのは 大変意味のあることだし
選手の起用法は 今までとは 少し違った方法を 使うことで
アプローチできる選手が 増えたことは チームにとって 活性化に 繋がると思います。開幕で いい波に乗って今シーズン 戦っていける展望も 少しは 見えた!そんな ゲームでした。


試合後 すぐに 帰りましたが 山口蛍は セレッソサポの前に 挨拶に 来たそうです。サポの反応は ブーイング、コールと 半々だったようですが あれほどまで ブーイングされていたのに よくきたなあ!と 勇気ある行動に 感動しました。私は 試合中は ブーイングしますが 去年まで セレッソで頑張ってくれていた選手は 基本的に 仲間だと思っています。他とチームと対戦するときは 応戦しています。


サッカーって 本当に 面白いし 熱いですよね!!


今日は このへんで!さよなら!さよなら!さよなら!

私の好きな70年代のソウル・グループ③


  第3弾の今回は アイズレー・ブラザースの登場です。はじけまくるファンク・グルーヴも とろけるような甘いバラードも 私の大好きなバンドです。歴史は 大変古く 1962年のビートルズのデビュー・アルバム「Please Please Me」の中のラスト曲<Twist And Shout>は アイズレー・ブラザースの曲だったことからでも すぐにわかると思います。70年代のグループというより 長い歴史を持つ ファンクバンドといった意味合いが 強いバンドです。


このバンドは 兄弟やいとこがが集まった同族グループで <Shout>、<This Heart Of Mine><It’sYour Thing>など いい曲を 連発していましたが この1973年の「3+3」以降 ロナルド、オーケリー、ルドルフの3人のヴォーカルに アーニー(ギター)、マーヴィン(ベース)、クリス(キーボード)の3人が 加わり 完璧なファンク・グルーヴ・グループになりました。この3+3は 6ではなく 10にも20にもなったところが このバンドの旬なところが 現れているようです。


ロナルド・アイズレー (1954年 - 現在)
オーケリー・アイズレー (1954年 - 1985年)
ルドルフ・アイズレー (1954年 - 1989年)
アーニー・アイズレー (1973年 - 1983年, 1991年 - 現在)
マーヴィン・アイズレー (1973年 - 1983年, 1991年 - 1997年)
クリス・ジャスパー (1973年 - 1983年)


 そのアルバム「3+3」のオープニングが この曲↓↓何もかも 炸裂しています。ロニーの脂ぎるヴォーカルは 焼肉3人前と餃子3人前を ニンニクと一緒に食べ アリナミンとレッドブルを 同時に飲んだ時のような(どんなんや?笑)テンションの高さ、ベースとドラムの唸るリズム、ジミヘンばりのアーニーのギター;ソロ、クリス・ジャスパーのキーボード。これを聴いて 何も感じない人は 多分いないんじゃないでしょうか。素晴らしすぎます。

The Isley Brothers - That Lady, Pts. 1 & 2 (Audio)




2曲目が ジェイムス・テイラーのしっとりした曲が これほどまでに 変わり果てたバラード。これも 素晴らしすぎます。↓↓



The isley brothers - Don't let me be lonely tonight



8曲目には  シールズ&クラフトのちょっとかわったヒット曲のカバー。↓↓
素晴らしすぎす。うむむ~!!



Summer Breeze - The Isley Brothers




Isley Brothers「3+3」


1.That Lady
2.Don't Let Me Be Lonely Tonight
3.If You Were There
4.You Walk Your Way
5.Listen to the Music
6.What It Comes Down To
7.Sunshine (Go Away Today)
8.Summer Breeze
9.The Highways of My Life





 その後 同じバンド内でも 注目の光があまりあたらない バックの3人は <アイズレー・ジャスパー・アイズレー>というグループをつくり独立してしまいます。同じ身内内でも 脚光を浴びるものとそうでない者の嫉妬心からか 新参者のうぬぼれか どうか分かりませんが このグルーヴは 6人が揃ってこそ可能だったという事が 分からなかったのでしょうか。そうこうしているうちに オーケリーは 心臓発作で亡くなり、ルドルフは 聖職に就く為脱退、マーヴィンも闘病の末 死去。もう二度と このグルーヴを 作ることが 不可になってしまいました。残念です。


残ったロナルド、アーニーに のちにロナルドと結婚することになる実力派アンジェラ・ウィンブッシュと 活動を続けました。




 ちょうど2000年前後だったと思いますが アイズレーが 大阪にやってくるというので 行ってきました。今は無き 大阪の天保山にあった<デッセ・ジェニー>というライヴハウスで オールスタンディングでした。ロナルドの昔と変わらないファンキーな歌声と つるっぱげになっていた ジミヘンみたいなアーニーのギターは 満開で ロナルドの奥さんでもあり 売れっ子のシンガーでもあるアンジェラ・ウィンブッシュも 盛り上がって 熱い夜でした。癖のあるロナルドの歌声を 生で聞けたこと、アーニーの弾きまくりのギターを 生で聴けたのは やはり 私にとっても 財産だったと思っています。